熊野市盾ヶ崎を訪問後、国道311号線を尾鷲市に向けて帰る途中、狭い国道沿いの右側に、須野町という小さな看板を見つけました。
どう考えてもおかしい場所、見たところ何もない場所、国道から急坂を降りた場所に、確かに須野町は存在しました。
車は僕の他に2台、後で考察したのですが、県外ナンバーだったので恐らく釣り客かな?
それとも住んでいる方なのか…
いずれにせよ、降りてきた段階で、人の気配は感じ取れました。
一応付け加えておきたいのですが、僕はこういった限界集落・廃村・過去の歴史をたどっていくことは、メインでは無いですがちょっと好きな趣味のようなものです。
ここに住んでいる方、住んでいた方も居るでしょうなので、ボチボチ迷惑にならない程度の報告が出来たらと思います<(_ _)>
集落の家屋としては、これでおおよそ7割程度が見えていますが、立地は山沿いで非常に少ない集落であることが分かります。
きっとこの記事を読んでいる方は、須野町を既に知っているか、興味があるかたかと思います。
情報はウィキペディアに結構載っていましたので、参考にしてみると興味深いです。
要約すると、須野町の歴史は1500年代、江戸より前の時代の情報が残っているそう。
こういった奥まった場所では平家の落ち人などが住んでいたなどの話がありますが、ここはどうなのでしょう。
1960年に162人いた人口は、1970年に73人に減少、2010年に2人になってしまったが、2014年に移住者が増えて5人になったとされていますね。
ただ、2017年を最後に移住者の方が開催したマルシェも終了し、地元に帰ってしまったとも書かれています。
これが恐らく、しっかりと残る最後のデータでしょうか?
今回僕は、2024年6月時点の訪問ですね。
漂流者のお墓があるという墓地は、ちゃんと綺麗にされています。
これは1960年に出来たとされる水路でしょうか?
狭い入り江は水が限られていたでしょうで、非常にありがたい水路だったと思います。
廃屋はまだしっかりと形を残したものが多いです。
こちらも先月まで住んでいそうな雰囲気がありながら、誰も居ないようですね。
ありました、電気が通っているお宅が。
薪も新しく、ここの方が住まわれているようですね。
玄関に表札があり、中の電気がついていましたので、おそらく夜になるので一日を終えたものと思われます。
まあ、僕はふらっと立ち寄った部外者ですので、あまりづけづけと話しかけないようにします。
街灯とよべるものは町内に数個光っており、ライフラインとしては一応あるのだなと感じます。
ここの集落の方は、この立地ゆえに昔からシャイな方が多いようです。
男性は無口、女性は優しいと表現されている文章がありましたね。
一時期は集落を存続しようと、伊勢湾台風後の被害にも町中の人たちが頑張ったそうですが、今はほとんどいなくなってしまっています。
特に盛大な町おこしをしたり、人と関わったりというのはほどほどに、まあボチボチ人と関われれば良いようです。
外で出会ったら話を聞いて見たかったですが、今回はそっとしておきたいですね。
さて、新しい情報が無い須野町でしたが、こうして少ないながらも畑を作っていたりと、住んでいる方はまだいらっしゃいます。
それでも閉鎖的な環境で、昔から仕事も限られたこの土地で生活していくのは非常に大変だと思います。
きっとそのうち無くなってしまうんだろうなと思うと、今日初めて知ったながらに、何となく寂しい気もしますね。
ここのお社も、きっと長く語り継がれた場所だと思います(ウィキペディアにここについても載ってる)。
こうして400年以上にわたって歴史が継がれた集落を、無くなってしまう前に見れて良かったというか、こんな所で済んでいた歴史もあるよと、色んな人に知ってほしいというか。
おこがましいですが、ちょっとだけセンチメンタルになった須野町訪問でした。
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